

| 【写真】 無二の親友 |
| 友人とは中国・北京の「国家教育委員会留学生招待所」という名前だけは立派な別に留学生でなくても宿泊できる安宿のドミトリーで知り合い、ほどなくして招待所が閉鎖されたため、その当時個人旅行者の溜まり場的な存在であった「橋園飯店」の4人部屋のドミトリーに宿を移して、親交を深めました。友人はテヘラン市内で中国武術の教師をしており、イスラム革命が勃発する以前は陸軍コマンド部隊に勤務し、革命後は在テヘランのドイツ大使館に勤務していました。中国へ訪問したのは、本場の中国武術を学習するためでした。 友人と出会う前までは、「イラン・イスラム共和国」という国家及び国民に対し良い印象を抱いていませんでした。「イランはテロリストの発信基地である。イランはテロ支援国家である」などという西側諸国(特にアメリカ政府)の一方的な中傷報道を何の疑いも持たずに信じ込んでいたのが、その最大の理由です。 しかし、友人と知り合い、実際にイランに訪問してみて、イラン国民は情に厚い、稀にみる親切な国民であることを知りました。困っているとどこからともなく救いの手が差し伸べられ、私がただ“日本人”であるというだけの理由で親愛の情を示してくれることも珍しいことではありませんでした。世に「親日国」と呼ばれる国は数多く存在しますが、イランほどの徹底した親日的な国は他には存在しないように思います。某らかの見返りを求めて、親切を装って近づいてくるような人はいませんでした。少なくとも、私が出会った人達に関しては。 イランへは6度旅行したことがあります。初めてイランへ旅行した当時(1996年)は、観光ビザを取得するには、まず現地の友人にイラン外務省まで出向いてもらい、ビザ発給手続きを執ってもらい、更にイラン外務省から在日イラン・イスラム共和国大使館まで招聘状(インビテーション)をテレックスで送信してもらう必要がありました。これらの作業だけでも軽く1ヶ月はかかりました。しかも招聘状の発行には50USドルの費用が必要であり、その費用は現地の友人が支払わなければなりませんでした。友人は経済的には恵まれていない境遇にあるので、著しい経済的負担をかけたことは言うまでもありません。50USドルと言えば、月給の約半分に相当するからです。 しかし、友人はそのことを私には一切伝えず、後日その事実を知った私が、立て替えられていた代金を返そうとしても、「友人を助けるのは友人としての当然の義務だ。友情には時として金銭的な損失も伴うが、私には、あなたを助ける義務がある。もしあなたが私の立場になれば、あなたは私からお金を受け取ることができるでしょうか?」と言い、頑として受け取ってもらうことはできませんでした。
Copyright (C) Hossein, All rights reserved. |
||