ペルセポリス遺跡(1)
ユネスコの世界遺産に登録されているペルセポリス遺跡は、紀元前512年頃にアケメネス朝のダレイオス(ダリヨス)1世の命によって造営が開始されました。
ペルセポリス遺跡が完成してから2500年後の1971年10月、パーレビ朝のムハンマド・レザー・パーレビ国王はこのペルセポリスにてイラン建国2500年祭を開催し、自身がアケメネス朝の正当な後継者であることを世に宣言しました。テヘラン市内に建てられているアザディータワーが完成したのも、ちょうどこの時期でした。
ペルセポリス遺跡に関して(追記 06-07-05)
2007年6月現在、ペルセポリス遺跡にある全ての階段に摩耗防止のための板が設置されています。2005年にペルセポリス遺跡に訪問した際には、このような板は設置されていませんでした(掲載している写真は全て2005年当時のものです)。年々増加する観光客によって遺跡が損傷されるのを防ぐため、保護用の板が設置されたものと推察されます。
 |
Terrace
Stairway
日本の城郭は階段の段差を意図的に不均等にして敵が容易に城内に侵入して来られないように工夫されていますが、ペルセポリス遺跡の階段の段差は全て均等に作られています。強大な軍事力の賜物です。
|
 |
The Gate of
All-Lands
旧約聖書のエステル記に登場する、エステル妃の夫であるクセルクセス王が建立した門です。
|
 |
“儀仗兵の通路”の脇には、凛々しい顔をした双頭鷲の像が展示されています。もともとは柱の屋根受け部分に設置されていました。
現在、イラン航空のシンボルとして使用されています。 |
 |
Unfinished Gate(未完成の門)
百柱の間の手前に未完成の門はあります。入場者の監視を行っていたのだと思われます。
|
 |
Palace of 100
Columns(百柱の間)
アレクサンダー大王の猛攻撃によって陥落したあと、この百柱の間から火災が発生して、宮殿は地上から姿を消しました。意図的に火が付けられたものと考えられています。
|
 |
The Treasury of
Persepolis(宝物庫)
その昔、巨大な宝物庫には莫大な財宝が保管されていましたが、紀元前331年にこの地を侵略したアレクサンダー大王によって財宝は根こそぎ略奪されました。今、財宝はどこにあるのでしょうか。
|
 |
The Audience
Relief
宝物庫の側に、属国の使者と謁見する王の光景を描いたレリーフが残されています。
|
 |
ペルセポリス博物館
ペルセポリス遺跡には、遺跡で発掘された出土品を展示する博物館が設置されています。主要な出土品はテヘランの考古博物館に展示されています。階段に刻まれたレリーフの一部は剥ぎ取られ、考古学博物館に展示されています。
|

Copyright (C)
Hossein, All rights reserved.
前のページ ホームに戻る 次のページ
|