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テヘラン市街1

旧アメリカ大使館2000年8月撮影

【写真1】 旧アメリカ大使館 2000年8月撮影

【写真】 旧アメリカ大使館 2004年9月撮影

【写真2】 旧アメリカ大使館 2004年9月撮影


1979年11月4日、テヘラン市内に於いてアメリカ大使館占拠・人質事件が発生し、事件解決までに444日もの長期間を要する大事件に発展しました。事件を解決するため、アメリカ軍の特殊部隊であるデルタ・フォースは事件後直ちに人質救出作戦を強行したものの失敗に終わり(イーグルクロー作戦)、この不手際の責任を取る形で、当時の合衆国大統領であるカーター大統領は政権の座から失脚しました。この世界中を震撼させた事件の現場が、テヘラン市内に今も現存する旧アメリカ大使館です。

イスラム革命後の1979年1月16日、パーレビ王朝の最後の国王であるムハンマド・レザー・パーレビ国王の国外脱出により王政政治に事実上の終止符が打たれ、その翌月、フランスに政治亡命していたルーホッラー・ムサビ・ホメイニー(ホメイニー師)がイランに帰国し、イスラムの教えを根幹とする革命政府が樹立されました。そしてそれから10ヶ月後の11月、アメリカ大使館占拠・人質事件が発生する訳ですが、この事件の原因はアメリカ中央情報局(CIA)のイラン国内における長年のスパイ活動に端を発しており、この事実を知った多数のテヘラン市民(おもに学生)は大使館に集結して抗議活動を展開しました。また、大使館を警備していたアメリカ海兵隊は群衆に向けて催涙弾を撃ち込み、これを排除しようとしました。

2001年付の新聞報道によると、長らくのあいだ民間人立入禁止であった旧アメリカ大使館が近い将来、一般に開放されて、当時の大使館員が残して行ったスパイ道具などを展示する博物館のような公共施設に生まれ変わることが報じられていました。

旧アメリカ大使館には監視カメラが随所に配置されており、写真撮影不可に近い状態です。当サイトに掲載している写真を撮影した際も、半ば隠し撮りで撮影しました。しかし今後は、テヘランの新たな観光名所として生まれ変わることでしょう。

旧アメリカ大使館について(追記 04-09-08)

2004年9月、旧アメリカ大使館に再訪しましたが、2000年に撮影した写真1の右側にあたる部分に地下鉄1号線のタレガニ駅が設置されていました。この地下鉄の開業によって、テヘラン市北部への移動が随分とラクになりました。

また、旧アメリカ大使館の庭にはドクロの顔をした自由の女神を模した銅像や、アメリカ兵の捕虜と思われる、両手を頭の後ろにまわして立っている男性の銅像が新たに設置されていました。しかしこれらは外部から観察したものであり、内部への立ち入りは依然として禁止されていました。(↓続く)


旧アメリカ大使館 南側

【写真3】 旧アメリカ大使館 南側


事件後、旧アメリカ大使館はイラン政府が管理する軍関連施設として利用されることになりましたが、正面玄関横にある壁面には「DOWN WITH USA」と反米スローガンがペイントされており、旧大使館を囲む壁面にもアメリカ政府を罵倒する様々な風刺画が描かれています。また、アメリカ大使館であることを示す、門柱に埋め込まれている石製のプレートは、事件の際に、蜂起した民衆の手によって表面部分が削り取られました。プレートを注意深く観察すると、微かに文字を読みとることができ、この場所がかつてのアメリカ大使館であったことや、そして事件の現場であったことを伺い知ることができます。

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